あれから10年。津波で死者行方不明者84名(児童74名、教員10名)の犠牲を出した石巻市立大川小学校へ。児童、教員の思いを無駄にせぬよう。
世田谷区議会議員、桃野芳文です。
昨日、石巻に行ってきました。行き先は2011年3月11日、東日本大震災の際の津波で死者行方・不明者84名(児童74名、教員10名)の犠牲を出した石巻市立大川小学校。
旧大川小学校。現在は震災遺構となっているその場所で開催される「語り部の会」に参加してきました。
全校児童108名、そして発災時に学校にいた78名の児童のうち74名が命を落とすという、学校管理下の事件事故としては未曾有の被害を生んだ原因は何か。そして地元自治体はここで起きたことをどのように検証し、その後どのような対策を講じてきたのか。関係者の皆様のお話を聞き、世田谷区での災害対策にも生かすために伺いました。決して大川小学校で起きたことを無駄にしてはいけません。
周知の通り、東日本大震災では日本列島の太平洋側各地で津波による大きな被害が発生しました。大川小学校へも約3.7km離れた追浜湾、そして追浜湾に流れ込む北上川を辿って大津波が押し寄せました。その高さは8.6m。大川小学校の海抜は高さ1.1mです。
2011年3月11日 14時46分から15時37分までの間、大川小学校で起きたことは以下。(語り部の会にて頂いた資料「小さな命の意味を考える第2集」より)
14:46
震度6の地震発生。揺れは3分間にも及び、これまで体験したことのない揺れ。
14:49
校庭待機。「山に逃げるぞ」と声を上げた教員もおり、山に向かおうとした児童もいたが全体の声、避難行動にはならず児童は校庭に整列することとなる。
14:52
大津波警報。スクールバス(学区が広いためスクールバス利用の児童もいた)には会社から「子どもを乗せて避難」という無線が入りすぐ出られるよう待機。
15:00頃
地域の方や児童を迎えに来た保護者が山への避難を進言。児童も「山に逃げよう」と訴えたが待機が続いた。
15:25〜15:30
市の広報車が高台避難を呼びかけながら通過。
15:32
津波が北上川の横を流れる富士川の堤防を越流。
15:36
児童らが移動を開始。学校の裏山ではなく、富士川、北上川にかかる橋のたもと(三角地帯)へ避難することとなり校庭を出る。なぜか民家裏の細い通路を通ったがその道は行き止まり。移動した距離は先頭の児童で約150m。
15:37
学校に津波が到着。津波が渦を巻き、校庭、校舎を飲み込む。
学校のすぐ裏は小高い山になっています。児童は普段から椎茸栽培などでそこへ上がっていました。今回語り部の会でご遺族の方も「発災時、子どもは今学校にいる時間だから、津波が来ても裏山に逃げて無事だ。大丈夫。と考えていた」とおっしゃっていました。
桃野もこの裏山に登ってみました。低学年の児童でも容易に登れそうな小道がついていて、その先にはコンクリートで固められた場所があります。誰しも津波から逃れるにはうってつけの場所のように思うのではないでしょうか。
ところが、子ども達は地震発生から50分間、大津波警報からでも41分間、校庭に待機を続け、その後津波にのまれてしまいました。当然、ご遺族の方は「なぜ裏山に逃げなかったのか」と、その理由を知りたいはずです。
震災後の遺族説明会で石巻市、市教育委員会は「山は地震の揺れで倒木があり避難できなかった」と説明。唯一生存した教員も「バキバキと木が倒れてきた」と話しましたが、実際は地震による倒木は一本もありませんでした。
2回目の説明会では児童などに行った聞き取り調査をもとにした説明があり、倒木は「あったように見えた」と訂正されるなど、その説明は到底ご遺族が納得できるものではなかったようです。その後、第三者検証委員会の報告も行われますが、その中でも「なぜ裏山に逃げなかったのか」は明らかにされていません。
石巻市、市教育委員会はその責任から逃れたい一心で、起きたことと真摯に向き合おうとしていないではないかと感じるのは桃野だけでしょうか。
なぜ、学校の裏山に逃げなかったのか。
その答えはもはや個人的に推測するしかないですが、やはり事前の災害対策の不備というところに行き着くのではないでしょうか。市や市教育委員会が普段から災害対策について徹底的に考えていれば、事前に準備はできたはず。
具体的には、危険を感じた時どこに逃げるか。どのように逃げるか。
津波、地震、火事、風水害、不審者の侵入など、それぞれの事を想定し、学校にいるすべての人が共通認識のもと行動できるようにしておかなければいけない。自治体や教育委員会にはその責務があります。
大川小学校では、津波発生時は「近隣の公園・空き地への避難」とマニュアルに定めていたようですが、その公園、空き地は近隣にはありません。教員ら関係者はそこで思考停止、具体的な対策を備えていなかったと感じます。
危険を感じたら一刻も早く逃げる。逃げる場所は決めておく。これは個人であっても集団であっても同じでしょう。全国の自治体で改めて徹底されるべき。もちろん世田谷区でもこうした行動が徹底されるよう再度桃野も点検を進めます。
今回の現地訪問、語り部の会を通じて感じたことはとても書き尽くせません。今回桃野が現地で学んだことを世田谷区の災害対策に生かします。決して犠牲になった児童、教員の思いを無駄にせぬよう。
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