東京市から東京都へ。35区から23区へ。大都市制度は時代と共に変化すべき。
世田谷区議会議員、桃野芳文です。
今月初め(11/1)、大阪市では「大阪都構想」をめぐる住民投票が実施され、僅差で反対多数となりました。
※大阪都構想:大阪市を廃止し、複数の「特別区」に分割すると同時に、それまで大阪市が所持していた財源・行政権のうち広域的な役割を果たすための事業に充当するものを大阪府に譲渡し、残された財源・行政権を複数の「特別区」に分割する統治機構改革構想。(wikipedia参照)
こちらは過去ブログ↓
【大阪都構想は残念ながら否決。しかし「自治権拡充」の議論は大きな”レガシー”になる】(2020.11.02 桃野ブログ)
上記ブログにも記しましたが、住民投票では否決されたものの「大阪都構想」という政策は、今の大都市制度の弱点はどこにあるのか。その弱点を解消するために地方行政の仕組みはどうあるべきかという課題に多くの方が関心を寄せ、考える、という大きな大きな”レガシー”を残したのではないかと思います。
今日の読売新聞にこんな記事が掲載されていました。
【「東京23区」カネはある・人口も多い、ないものは…】(11/20朝刊紙面での見出しは「東京23区 カネはあっても・・・」)
かつて東京23区は、東京都の内部団体に過ぎず住民は区長を選挙で選べなかっこと、60年代から70年代にかけての「ゴミ戦争」、人口92万人の世田谷区を筆頭に23区のほとんどが、中核市(人口20万人以上)や政令指定都市(同50万人以上)と同じか、それ以上の規模であるにも関わらず、それらの市に比べて権限も財源も東京都が握っている部分が多いことを伝えています。
こうした東京の特別区の”課題”にも着目し、基礎自治体である大阪特別区に権限、財源を大胆に移譲して住民により近いところで自治を行おうと言うのが大阪都構想でした。ところがこの大阪都構想に対して「区は市に比べて権限がない、むしろ世田谷区は政令市になりたい。大阪都構想は目指すべき大都市制度に逆行している」と、都構想の中身を理解しないまま、よくわからない理屈で「大阪都構想には反対だ!」と声高に主張していたのが世田谷区長。
今朝の読売新聞を読めば、東京都と東京特別区の関係において、一部の区が政令市になるのではなく、東京都から各特別区への更なる「自治権拡充策」こそ求められていることがよくわかるのではないでしょうか。世田谷区長、勉強不足のまま、おかしな主張をするのではなく、世田谷区民(東京都民でもある)の為により良い大都市制度は何かと言う視点で真剣に考えてもらいたいと思います。
■昭和7年(1932年)は「東京市」の中は35区。昭和18年(1943年)7月1日に東京府と東京市を廃し東京府の範囲に東京都が設置されました。その後、昭和22年(1947年)8月1日に区が再編され現在の23区の形へ。(写真は東京都のサイトより35区時代の地図)
世田谷区の委託事業。ネット上の書き込みをパトロールするのに約450万円/年間 ようやく報じるメディアが出てきたかという印象。世田谷区長肝煎りの「社会的検査」なるものは現場(高齢者施設等)のニーズからも大きく離れている。 区報「せたがや」。区長のエッセイ(?)部分は「正確にわかりやすく伝える」ということから考え直した方がいい。 不登校や不登校傾向の生徒、保護者を対象に個別進路相談・個別高校説明会を開催。都立学校、通信制や定時制学校等の先生に質問・相談もできます 議会からの声に煮え切らない答弁を繰り返していた世田谷区長。 世田谷区の給食無償化は、決して区長が自身の手柄のように誇れるような経緯ではありません。
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