機関銃を持った武装勢力がいる中に「安全な地域だから小さなピストルだけ持って行きなさい」との状況ではなかったか。
世田谷区議会議員、桃野よしふみです。
黒いものを白いという。有るものを無いという。やったことをやっていないという。
今度は、これまで無いと言っていた自衛隊のイラク派遣の際の日報が出てきました。昨日、防衛省がその中身を開示。
自衛隊が海外でどういった活動をしてきたか。現地の情勢をどう捉えてきたか。その日報(活動報告)が資料として非常に価値が高いというのは誰しもが理解できることでしょう。
それが、短期間で廃棄されるルールになっている、あるのか無いのかわからない、どこにあるのかわからないなどというずさんな形で管理されていることに、大きな問題を感じますし、この轍を二度と踏まぬよう、防衛大臣が言う通り「膿を出し切らないといけない」と思います。
更に、これはずさんな管理でなく、組織的な隠蔽では無いかとの疑惑の目も向けられているわけですが、確かに、「有事においては、一致団結、厳正な規律を保持し、危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務める」自衛隊が「イラクの日報」という大切なものをいい加減に扱うというのはにわかに信じられません。
ならば、なぜ日報が表に出てこなかったのか。
2003年から2009年にかけて行われた自衛隊のイラク派遣は、海外での武力行使を禁じる日本国憲法に反しない派遣とするべく、国会で「イラク復興支援特別措置法 ( 4年間の時限立法 )」で様々な制約がつけられました。
「海外での武力行使」にあたることはできません、あくまで「イラク戦争終結後の復興支援」であり、その活動内容は「学校や道路の修復、医療支援など」です、ということ。国会でも議論になりましたが自衛隊は「非戦闘地域」にしか行かない、と決めていました。
ところが、日報を見ると「陸自車列付近における爆発事案について」(2005年6月23日)や、「サマワ宿営地に(自衛隊の宿営地)付近にロケット弾着弾→連続発生の可能性は否定できず」(2005年7月5日)などの記述があり、現地の状況は、日本人の多くが受け止めていた「非戦闘地域」ではなかったように思えます。
とすれば「非戦闘地域ではない」と受け取られる恐れのある日報は公開できない、と考えたか。
現場は、政治が決めたことを忖度しなければならないという風潮があるのだとすれば、もしくはそれを政治が強要しているようなことがあるのなら、それは大きな問題です。
自衛隊を海外に出すのか出さないのか。
出すとすれば、どういう条件下であれば出すのか。
他国の軍隊が活動中であっても、危険な状況になれば自衛隊は撤退するということにするのかしないのか。
こうした課題は、国会で正々堂々と議論して乗り越えていくしか方法はありません。日報の内容が派遣の正当性を揺るがしかねないからといって、日報を隠すというのでは本末転倒の謗りを受けて当然でしょう。
そして、日報を見て非常に気になることがもう一つ。
政治的な制約が理由となって、自衛隊が危険にさらされ続けていたのではないか、ということです。
「非戦闘地域」に行くという前提で行くなら、非戦闘地域仕様の装備しか現地に持っていかないということになるのでしょう。目的が「学校や道路の修復、医療支援など」であれば、それに適した仕様で自衛隊は現地にいたはずです。
例えるなら、機関銃を持った武装勢力がすぐ近くにいるのに「安全な地域だから小さなピストルだけ腰に差して行って来なさい」といった状況ではなかったか。自衛隊の派遣の正当性とはまた別の次元で、国民は関心を寄せなければいけない問題だと思います。
■防衛省によって公開された日報については朝日新聞がその中身をインターネット上で公開していて、本日(2018年4月17日)現在は、誰でも見ることができます。
【陸自イラク「日報」 防衛省が公表した全文書】(朝日新聞デジタル)
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