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2011-08-21

中村雅俊さんの言葉。(東日本大震災復興支援 世田谷の集い)

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この季節は、夏祭りや花火大会など様々なイベントが開かれる季節です。
昨日は、夕方から「東日本大震災復興支援 世田谷の集い」に参加しました。
会場は二子多摩川緑地運動場。
「出店コーナー」では焼きそばや綿菓子、かき氷などの定番のお店の他に、岩手、宮城、福島の3県から、県自慢の名産品が販売されるブースが設置されました。
私は、18:00ぐらいに販売ブースに伺ったのですが、盛況で売り切れ品が続出の状態でした。
多くの方が「東北を応援したい」という気持ちで商品を購入されたのだと思います。
私は、まだ残っていた商品の中から、盛岡冷麺、白石温麺、福島のブルーベリージャムを購入しました。
がんばれ東北!
ステージコーナーでは、世田谷区内から、
日本体育大学応援団(リーダー部、チアリーダー部、ブラスバンド部)によるエール。
二子玉川小学校の生徒による合唱。
喜多見小学校金管バンドクラブによる演奏。
喜多見中学校吹奏楽部の演奏。
Dream Jazz Band(世田谷区の中学生のJazz  band)卒業生による演奏。
深沢高校和太鼓部による演奏。
区内小中学生による作文の朗読。
など。
皆様、素晴らしい演奏、朗読でした!
そして、俳優村田雄浩さんの「雨ニモマケズ」の朗読。
有志による「大地讃頌」の合唱。
被災地・女川町出身の中村雅俊さんのライブ。
あいにくの小雨まじりの空でしたが、復興への想いのこもったイベントになりました。
中村雅俊さんは、ライブの合間のトークでも、被災地に対する多くの想いを語っていらっしゃいました。
東日本大震災以降、何度も故郷、女川町で活動をされているようです。
舞台も楽器も何も無い所で、歌を通じて被災者の方を励ましていらっしゃるようでした。
「女川は、元々何もない人口1万人足らずの漁業の町です。その町が、本当に何もない町になってしまった」「みんな復興に向けて一生懸命、頑張っている」と。
復興資金をどうするか。
海沿いにあった町は、今後、どこにどのようにつくっていくのか。
ガレキはどこでどのように処分するのか。
政治が進めるべき、喫緊の課題はたくさんあります。
私が日本の復興のためにやれることは何か。
そして、首都圏で大きな災害が起きたら。
区民の生命と財産を守るためにやるべきことは何だろうか。
しっかりと考え、取り組んで行きたいと思います。
■復興への祈り

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