区民会館の緞帳「片岡球子の赤富士」が廃棄されていた!
世田谷区議会議員、桃野芳文です。
本日のブログも先の代表質問より。
大変残念なことに、旧世田谷区民会館の緞帳、片岡球子の「赤富士」が廃棄されていました。
◾️以下写真がその緞帳。世田谷区のユーチューブチャンネルからスクリーンショットしました。
以下、そのユーチューブチャンネルです。
令和6年9月、新たな世田谷区民会館が誕生しました。
区民会館は区役所本庁舎と一体の建物ですが、庁舎が全面建て替えされる一方で、区民会館は大規模改修して保存されました。
”耐震補強”された区民会館と”最新の免震構造”である新庁舎を、エキスパンションジョイントで繋ぎ合わされる難工事をしてまで、区長は区民会館の保存にこだわったのですが、今、改めて新庁舎と連続性のない唐突な外観を持つ区民会館を見ると、桃野は率直に「美しくないな、なんで区長はこんなことやったんだろうな」と残念に思います。
加えて冒頭の話。
改修前の区民会館には、かの片岡球子の原画が用いられた緞帳が設られていましたが、改修の際に廃棄されてしまいました。
片岡球子は、大胆な構図と鮮やかな色彩で、従来の日本画の概念を打ち破った革新的な日本画家とも言われますが、まさにそれを彷彿とさせる「赤富士」が描かれた緞帳でした。
区長は区民会館の保存にこだわりつつ、なぜ片岡球子の赤富士は簡単に捨ててしまうのか。事前に区民や有識者に意見を聞くなどし、再利用や譲渡を検討すべきではなかったのかと残念でなりません。
ちなみに、名古屋市にある劇場、御園座の建て替え時は、片岡球子の原画『富士に献花』が使われた緞帳が、日本体育大学世田谷キャンパスに譲渡されたそうです。
こちら「愛知芸術文化センター情報誌 AAC 2015年vol.84」をご参照ください。
仮に、世田谷区民会館のケースにおいて、検討の結果、譲渡や再利用が困難だったとしても、別の方法で文化、歴史を継承すべきだったのではなでしょうか。例えば縮小版を作成して展示する、3Dデータで保存し世田谷デジタルミュージアムで公開するなどの方法もあります。
今回、区側に
・文化、歴史の継承に取り組める程度の写真やデータは残っているのか
・それらを活用して文化の継承に取り組むか
・そもそも簡単に捨てるのがおかしいのではないか
という趣旨で質問しました。
区の答弁内容は以下。
・
新しい区民会館は、音響性能向上のため天井の高さを出来る限り高くした。「赤富士」緞帳は、高さ及び緞帳をしまう懐の高さが約3m足りず利用不可だった。
・
他の施設での再利用も検討したが、緞帳自体の運送費、クリーニング、防炎加工等に多額の費用が必要であることから廃棄を選択した。
・
赤富士緞帳の写真等については、区民会館30周年記念誌にカラーで掲載されているものがある。このカラー写真等を含めて活用の可能性について関係所管と検討する。
(答弁内容は以上)
区長は区民会館は難工事をしてまで、つまり費用と時間を余分にかけて区民会館の保存にはこだわったわけですが、赤富士緞帳の維持、保存にはお金がかかるのでやらなかったという話です。
こうした現実を見ると、区長が「区民会館は保存」にこだわったその考えが、何か文化人然と振る舞いたいだけの浅慮に思えて仕方ありません。
質問と答弁の動画は以下。
フルバージョンです。
豊中市は全国に先駆け障がいのある子どもが地域の学校に入学し地域で生活できる環境の整備を進めてきました。ともに学びともに支えあっていくということ。 旧希望丘中学跡地に約24億円で建設されました。世田谷区立希望丘複合施設へ。注目は区内3カ所目の「ほっとスクール」 全国で1,586人。突如「民進党は解党します!」のニュースに触れた「民進党の地方議員」はどんな気持ちだったんだろう。 本日は、やきまくる一日。普段あまりお話しする機会のない、地元のお母さん方ともお話をいっぱいできて楽しかった! 区役所新庁舎整備工事の遅延。建設事業者に請求する和解金はいくらになるのか。明日の区議会本会議で和解案への賛否が採決されます。
コメントを残す