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世田谷区の桃太郎 桃野芳文Webサイトです
2023-09-08

えっ?!これが教育大綱(素案)。中学生の作った文章ではありません。68歳にもなる保坂展人世田谷区長の作った行政文書です。まるでポエム。

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世田谷区議会議員、桃野芳文です。

現在、世田谷区長は、世田谷区のいわゆる「教育大綱」の策定を進めています。

教育大綱は法律に基づき区長が定めるもの。世田谷の教育の大きな方向性、基本的な枠組みについて区長が示すもので、この教育大綱に基づき、世田谷区の教育が進められていくことになります。

先の世田谷区議会文教委員会で、この教育大綱の素案(現時点の案)が示されたのですが、これが正直、首を傾げる内容でした。繰り返しますが、教育大綱は世田谷区の教育の大きな方向性を示すもので、これに基づいて区立小中学校の教職員が子どもたちへの教育を進めるものです。

以下、9月5日(火)に示された教育大綱(素案)。区長が練ったものです。

学ぶとは、自分自身を見つめ直すこと。 これからやってくる未来に向けて、あたたかく充実した日々を送るた めに、身体まるごとで問いかけ、思考を深めて、成長をはかる。

これからの時代、最大の課題は「人類と地球の共存」となる。しか も、にわかに正解のない難題であり、子どもと大人は険しい道を行か なければ生き延びることが出来ない時代だ。

「いま」に交錯する難しい課題について、わずかな可能性も見逃さず にとらえ、語り合い希望を紡ぐ。そのために、「いま」を感じて、人 と人が力を合わせて認識を研ぎ澄ます学びが、明日をひらく。

この時代に生まれ、地球で暮らすすべての人々が、互いをいつくし み、助け合って、生命の鼓動をつなぎあう。学びは人を豊かにして、 しなやかで強い意志を育てる。その学びを糧として、次世代にとって より良い社会を実現するために、人は働き、支え合い、生きる。

学びの権利は、誰もが持つもの。 この保障と実現こそ、「世田谷の教育」の目指す礎である。さらに、 学びの権利を分け隔てなく実現する「誰一人取り残さない社会」を 構築していくために、私たちは「世田谷の教育」の意義を共有し、 高めていく。

人はひとりひとり違う。性別も、年齢も、育ち暮らす環境も、資質も それぞれだ。学びの場での気づきや、学びを深める速度やリズムも、 それぞれ異なる。それならば学びのあり方も多様となる。

学びの場は、学校だけではなく、家庭であり、地域であり、地球全体 だ。また、学ぶ人は、赤ちゃんから、児童であり、学生であり、大人 である。子どもは、「未熟な大人」として、くくれない。大人が失い かけた理想や希望により近い、個性を持った「独立した人格」だ。

大人は子どもたちの個性を引き出し、「いま」を生きる日々を大切に して、尊厳をもって成長し、学び、遊び、友情を育てる環境を創り、 一歩一歩を踏み出せるように、よりそい導く責任を負っている。

まさに、人間として誰もが持つ生命の鼓動を、やさしく受けとめ、可 能性と未来への道を引き出すのが「世田谷の教育」の目的であり、子 どもも大人も「世田谷の教育」を創り出す当事者なのである。

ともに人類全体の課題解決に取り組む姿が私たちの明日をつくる。

これ、中学生の作った文章ではありません。68歳にもなる保坂展人世田谷区長の定める教育大綱の素案です。まるでポエム。冒頭に「学ぶとは、自分自身を見つめ直すこと」などと言ってますが、そんな哲学的な問いに対して、答えを断言し記す態度も理解できません。

はっきり言って、この文章を読んで「世田谷区の教育の方向性」を感じ取れる方は居ないのではないでしょうか。これ本当に区長が作ったの?と、信じられない方もいらっしゃるかもしれないので、委員会に提出された資料を文末に添付しておきます。

ちなみに世田谷区長、教育大綱について、かつて記者会見で「”大きなアミ(網)”と書いて”大綱”」と言っていました(それを言うなら大きなツナ(綱)では?)。大綱をどんな漢字で書くか知らないの?と桃野は驚いたのですが、そんな人が世田谷区の教育大綱をつくって良いのでしょうか。桃野は疑問を感じざるを得ません。

(2023.11.27追記、区長が教育大綱を「大きなアミ」と発言しているのは2023年2月9日の記者会見、冒頭から48分ほど経過したあたり、記者との質疑応答時です)

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