「前のめり感があった」って行政の公式な反省に使う言葉か!?
このブログでも何度もとりあげております。
「世田谷区デジタル映像コンテンツ産業誘致集積支援事業」に関する問題。
世田谷区役所や世田谷区議会では、すっかり「デジコン問題」で通じるようになりました。
本件では、約2,000万円の補助金(=区民の税金)が闇に消え、区役所幹部の虚偽答弁、文書隠しまで明るみになりました。
私は、この問題を昨年の6月より追及してきました。
区は当初、私の追及に対して「補助事業に全く問題はない」との答弁に終始してきました。
さらに、弁護士を中心とした検証委員会の検証結果に対しても、全てを認めて反省するでもなく「区としての総括を行う」として、時間とお金を費やしてきました。
私の最初の指摘を素直に認め、反省をしていたら無駄な犠牲を生まずに良かったのではないかと思います。
そんな経緯をたどっているデジコン問題ですが、「区としての総括」とやらを見て、またもや呆れてしまいました。
世田谷区が不適切に補助金を支出し、さらに何の実績もなく税金を失っただけであるNPO法人に対して「高い実力を持っていた」と評し、区の行動を「成功を信じ、前のめり感があった」などと、およそ公的な文書にはふさわしくない奇妙な言葉で正当化しています。
さらに、全体を通して言えることは、「~のような疑義を生じさせた」「~と疑われてもしょうがないという状況になった」「~疑義を生じさせないための仕組みを作る必要がある」など、区は「悪い事はしていないが、そう疑われてしまった」と言わんばかりです。
世田谷区の「区としての総括」は真摯な態度で反省したものではありません。
検証委員会により検証結果と「区としての総括」は世田谷区のHPでご覧いただけます。
皆様も是非ご覧ください。
↓
http://www.city.setagaya.tokyo.jp/020/d00039974.html
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