本日は、はるか昔の世田谷にタイムスリップ!(殿山横穴墓群へ)
本日は、はるか昔の世田谷にタイムスリップ!
ということで、地元の方が主催された古墳見学会に参加してきました。
殿山横穴墓群の見学会。
殿山横穴墓群は、東京外かく環状道路の建設事業に先立ち、今年の8月から行なわれた調査で発見されました。
その数15基。
6月に世田谷区教育委員会が行った調査で発見された2基とあわせて、合計17基もの横穴墓が発見されています。
今日は、東京都埋蔵文化財センターの方に説明をして頂いてからの見学。
「多摩川を挟んだ川崎側ではこのような横穴墓が多数みつかっているが、こちら側にあるとは思っていなかった」とのこと。
意外な発見だったようです。
そして、説明によると、3世紀ごろ(古墳時代)から、天皇や皇族の墓として巨大な古墳がつくられ、その後(古墳時代の後期)は、小豪族や村長(ムラオサ)クラスの小古墳もつくられるようになった。
その時代には横穴墓もみられるようになった。
おそらく、殿山横穴墓群も、古墳時代後期(6〜7世紀)の村長クラスの墓ではないかとのこと。
墓の中からは、人骨の他、須恵器、鉄の刀、玉類、鉄のやじりも見つかっています。
玉類。きれいでした。今でも装飾品として使えそう。
今回の見学会は「工事現場」ということもあり、全てを見られた訳ではありませんが、横穴墓がいくつも並ぶ光景というのを、桃野は初めて見ました。歴史好きとしては、やはりワクワクしますね。
横穴墓群は同時につくられた訳でなはく、100年間ぐらいの間にどんどんつくられて行ったのではないかとのこと。
横穴墓の中をのぞいてみると、確かに玄室の奥行きもまちまち(2〜5mぐらい)、入り口の高さもまちまちなので、同じ時に一気につくられたわけではなさそう。でも一方で、穴の中にはそれぞれ形の異なる排水用らしき溝が掘ってあるなどして個性も感じとれます。
せっかく姿を現してくれた古墳時代の遺跡。
地元の方々からも「地元のシンボル」として活用したいという要望も出ています。
桃野も、何らかの方法で、この貴重な遺跡をいかせないかと考えています。
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