「就職しても長続きしない」少年が、紆余曲折を経て世田谷区長になると、過去はこんな風に「カッコ良さげ」に上書きされてしまうのですね。
世田谷区議会議員、桃野芳文です。
世田谷区議会決算特別委員会で保坂区長と議論しました。
といっても、あまり議論にならず、議論の入り口のところで前に進まなくなってしまった感じではありますが。
桃野が保坂区長のかつての著作の記述を引用して質問をすると、区長が気色ばんで「(桃野の)勝手な想像」「名誉を傷つけられることだ」などと、強い口調で言い返してきたり、不機嫌そうに腕組みをしたり。
そんなこと一言も言ってないのに「いい加減な人間だったんだと言われることは不本意」云々、随分とお怒りの様子でした。
引用したのは1987年発行の保坂展人さんの著書「造反有理讀本-タノシイ反逆ノススメ」。保坂区長は1955年生まれですから1987年当時は31、2歳というところでしょう。まだ自分が政治家になるとは夢にも思わずこの本を書いていたことと思います。だから若い時の話が赤裸々に描かれているんでしょうね。
◾️以下、Amazonの画面より
当時の保坂さんは中学校を卒業後、定時制高校へ。上記書籍の74ページには以下の記述があります。
(一部引用、色付きは筆者強調)
「おたくどんな仕事してんの?」
「ん、ちょっとしたアルバイトだよ」
Sさんに聞かれて、思わず嘘をついた。見渡してみると、働いてないやつっていうのは誰ひとりいないみたいだった。ぼくと同じ十五歳で中学卒業とともに入ってきた連中は「ストレート組」と呼ばれていたけど、みな「郵便局」だったり、「靴屋」だったり、仕事を終えてきているのだった。
そして、ぼくはと言えば、夜中までラジオを鳴らして本を読み、太陽が真上に昇った昼ごろになってのそのそ起き出すというような生活をしていた。
あわてて、ぼくは仕事についた。最初の仕事は親の紹介だった。二回目の仕事もそうだった。なんか、親父をせきたてて見つけてきてもらったような気がする。
二回目の仕事とは、本郷にある出版社の仕事だった。
毎朝、返品されてくる本を一冊ずつペーパーで「化粧」し、取次店のトラックが持って来た注文の短冊を左手に、荷作りをする。月に一〜二回倉庫に行ってはホコリのかぶった本を持って帰ってくる――そんなことのくりかえしだった。
この業界は「左翼青年」に対しては寛容なためか、学生時代に激しく活動した二十代後半の各社の若手編集者たちが、喫茶店や酒場で熱っぽく議論していた。ぼくも、学校をさぼって、何度か議論の仲間入りをしたが、正直言って溶け込めなかった。三か月あまりで、ぼくはこの職場を去った。
その後(77ページから80ページ)、友人が「歩道橋掃除」の仕事を紹介してくれたようなのですが、この仕事は遅刻を繰り返してクビ。
その何日か後に、最後の遅刻をして、ぼくは見事にこの仕事をクビになってしまった。しばらく、そう一週間くらいはショックで元気がなかった。
続いて(81ページ)、先輩から印刷会社を紹介され就職。「印刷会社の週給自転車マンの仕事は半年続けた。それから、いまや巨大なネットに成長した公文数学研究会の事務の仕事を半年やった。 そして、新聞広告で見つけたジュース工場のビン洗いを半年やった。ふりかえってみると全部、半年だった。」(87ページ)だそう。
続いて(90ページ、91ページ)。
一日休み、明日こそはと思ってまた休み、そうだ来週の月曜日から気持ちを入れ直して、と思ってはやっぱりいけずーわが愛するジュース工場の労働者のみなさんに合わせる顔がなかった。
小さな工場だから、ぼくが休むと影響をこうむるのは周りの人たちだ。 その人たちの顔を思い出すと、自分のこの苦悩が憎らしくもあり、恥ずかしくもあった。
どんな仕事も続かなくなってしまった。 日払いの倉庫の荷役、郵便車の助手、デパートの装飾、ガードレールの清掃、白アリ退治、石油コンビナートの検査員、都市模型会社、建築現場、製本所・・・・・数えきれないほどの仕事を転々とするようになった。長くて一か月から二か月、短いものは三日間から一週間という具合だった。
休むと影響をこうむるのは周りの人だとわかっていても、自分の苦悩が云々と、人に迷惑をかけているという反省や謝罪はないというのも驚きますね。
続いて(91ページから93ページ)。
「あのう『アルバイトニュース』でみたんですが………」ということになる。そして、面接だ。たいがいの場合は、面接で断られるということはまずない。問題はいつも、ぼくの側にあった。
「そうですか。なかなか面白そうな仕事ですね。これならやりがいもありそうです。それじゃ、今度の月曜日からってことでよろしいでしょうか」と、流暢にまくしたてて席をたつ。
ところが、今日はまだ水曜日である。本当にやる気があるのなら「明日から」と言ってもいいようなものだが、そこは少しばかりの猶予が欲しくなる。
「さ、仕事が決まったぞ」と軽い足取りで部屋に戻るのだが、次第に月曜日が近づき日曜ぐらいになると、とめどなく憂鬱になる。目覚ましをかける時の手が重い。きっと寝過ごしてしまうんじゃないかなどと思いながらも、眠りにつく。目はなんなく覚めるが、行きたくない。でも、いかなくちゃ、と思ってトボトボと駅へむかうプーンとコーヒーの香りが鼻をついてくると、つい「モーニングでもたのもうか」と扉をあける。
そうしているうちに、とても電車には間に合わない時間になってしまう。 帰り道に赤電話だ。
「あのう、途中まで来たんですけど、なんだか気持ちが悪くて風邪をひいちゃったみたいなんです。最初の日から申し訳ないですが、今日は一日休養して明日からということにさせていただけないでしょうか。(はい、はい、わかりました。お大事にね)いえ、どうも本当にすみません」
ということになる。翌日も、また翌日も休養は続き、結局はまた水曜日になって『アルバイトニュース」を買いに走るということになる。
自分の著書で書いているんだから、まさにこういう暮らしをしていたのでしょう。当時の保坂展人さんは。ところが今、紆余曲折を経て世田谷区長になると、過去はこんな風に「カッコ良さげなもの」に、上書きされてしまうようですね。驚きます。
1987年の保坂展人さんの著書「造反有理讀本-タノシイ反逆ノススメ」には、10代後半の頃、遅刻を繰り返して仕事をクビになったり、勤務初日から出勤せぬまま辞めてしまったりという生活が描かれている。紆余曲折を経て区長になると、こうしてどこか「カッコ良さげな話」に上書きしてしまうんですね。 pic.twitter.com/pYjB8yIfgh
— 桃野芳文(世田谷区議会議員) (@momono4423) October 5, 2023
保坂区長と桃野のやり取りは以下の動画でご覧ください。
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