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2017-08-15

今日は72回目の終戦の日。この時期いつも思い出すのは清太と節子の悲しい物語です。

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世田谷区議会議員、桃野よしふみです。
今日は72回目の終戦の日。
全国各地で犠牲者の御霊を鎮める催しが開かれ、多くの方々が平和への祈りを捧げています。今日は、桃野が街ですれ違う方々も口々に平和への思いを口にされていたように思います。
この時期、いつも思い出すのは野坂昭如さんの「火垂るの墓」。清太と節子、戦争孤児となった兄妹の物語です。苦しかったろう、悲しかったろう、怖かったろう。子ども達が当時受け入れざるを得なかった暮らしを思うと胸がいっぱいになります。
今日(8/15)の読売新聞27面には戦争孤児に関する特集記事が掲載されていました。かつて戦争孤児だった京都在住の男性が「子ども達には二度と僕らのような思いをさせたくない」と過酷な体験を語る活動を続けているとのこと。
1945年7月福井県敦賀市。当時13歳だった男性(現在85歳)が空襲で母を失い、約半年後に父を失い孤児となります。身を寄せた親戚宅では食事を与えられず、罵られる日々に耐えかねて家を飛び出す。その後、無賃乗車を繰り返して都市を転々。路上生活を繰り返すうちに栄養失調から失明するも、様々な出会いで何とか安住の地にたどり着き生き延びたという話。この男性は清太や節子のような道を辿らなかったと言う意味で、まだ運に恵まれたのかもしれません。
*(以下、読売新聞より引用)
1948年2月の旧厚労省の調査では、戦争で親を亡くすなどした戦争孤児は12万4000人に上った。
孤児達は路上生活を送り、物乞いをしたり、靴磨きをしたりして食いつないだ。餓死者も相次ぎ、中には窃盗や売春をする孤児も少なくなかった。(中略)政府は46年4月から孤児を捕まえて施設などに送る「狩り込み」を本格化。しかし、施設でも食事は十分に与えられず、逃げ出して路上生活に戻る孤児が続出した。

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