今、世田谷区の人口は約90万人。さて縄文時代はどれくらいの人が今の世田谷区に住んでいたでしょうか?
世田谷区議会議員、桃野よしふみです。
今日は、午前中、地元の区立小学校横で発見された「下神明遺跡」の発掘調査現場に見学に行っておりました。
世田谷区役所の「生涯学習・地域・学校連携課」の「文化財係」による見学会。
午前の部は10時から、午後の部は13時から。
桃野は午前部の部に参加。
平日、それも今にも雨が降り出しそうな曇天とあいにくの天気ではありましたが、12、3人ほどの方が集まっておられました。
この遺跡も含めて、この辺は縄文時代や古墳時代などの遺跡がたくさん見つかっているところ。
国分寺崖線周辺から湧き出る水(湧水)が、生活する上で便利だったようです。
すぐ近くの砧中学周辺からも遺跡が出ているので、この辺りに人が密集していて暮らしていたのかと思ってしまいますが、実はそうでも無いそう。
区の学芸員の説明によると、この遺跡の時代、縄文時代早期(約8,000年前)には、推定で1㎢あたり5人ぐらいの人口密度だったとのこと。世田谷区の面積は58㎢ですから、世田谷区内に58×5=290人ぐらいしか住んでなかったという計算になりますね。
今は世田谷区内に90万人ぐらい住んでいますから、時代の違いを感じますね。。。
そんな少数しか暮らしていなかった縄文人の遺跡が、あちこちで出るのはなぜか?
「それは頻繁に移動していたから」だとか。
日常的には木の実などを採取したり、小動物を捕まえて食べていた縄文の人々。
時に、幸運にも大型の獣を捉えた場合、運ぶのが大変(道具が発達してない、時間がかかると腐って食べられなくなる)なので、捕らえた獣の近くに引っ越して、食べ尽くすまで、そこでしばらく暮らす、何てこともあったらしい。
面白いですねー。
なんと自由で、なんと身軽なライフスタイルなんでしょう。
でも「心地よい生活のために、身軽に暮らした縄文人に学べ!」というわけにはいかないですね、やっぱり現代は。
そんな話も興味深かったのですが、今日は、けもの道の上に掘られた落とし穴(獲物を落として捕獲する)を間近に見たり、発掘された石器や土器片に触れたり、十分に太古のロマンを感じることができました。
楽しかった。
世田谷区内、実はしょっちゅう、縄文時代や古墳時代の遺跡が出ているんですよね。
(希少価値が無いという見方もできますが・・・)
調査をしたら埋め戻されてしまう例がほとんどなんですが、せめてその前に一般に公開されてこんな楽しい説明会が開かれるといい。
週末であれば、もっと多くの方が参加されたはず。
そういった遺跡の活用の仕方も、議会で提案したいと思います。
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丸い曲線のところが竪穴式住居跡。これで4〜5人ぐらい住んでいたのでは。とのこと。
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獣を落とす落とし穴。実際にはもっと深かったみたい。猪などを落としたと推測されてます。
穴の底に尖らせた竹などを立てておく穴も見えます。
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木の実を潰すなどしたと思われる道具(石器)
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土器片。縄のような模様あり!
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