首都直下地震を見据えてやらなければいけないのは「防災」だけではありません
これまでブログで視察報告をアップしてきました。
報告の最後は神戸市長田区。
震災後の復興プロセスについて学ぶため、新長田商店街に伺いました。
平成7年(1995年)の阪神大震災から19年。
神戸の町を歩けば、復興もすっかり成し遂げられた感があります。
そんな中「震災後の再開発で逆に賑わいが失われてしまった」との声もあがっているのが新長田商店街。
震災前、新長田駅周辺は、アーケードで覆われた商店街が縦横に走り住宅や商店の混在するエリアでした。
周辺を構成する建物は木造2階建てや平屋。
いわゆる下町の雰囲気の中に、活気を感じる町だったと言います。
しかしながら、阪神大震災では商店街の9割の建物が焼失。
復興に向けた再開発事業は神戸市主導で行なわれ、木造2階や平屋だった建物が集積していたエリアには、マンションと商店街が一体となった複合ビル群が建てられました。
地下1階から地上2階までが商業店舗、その上部が住宅棟になっているビルです。
しかし今やこの商店街が”シャッターの目立つ通り”になっているのです。
再開発で新しいビル群をつくりあげ、整然とした街並みに生まれ変わった反面、活気は失われてしまったとの声もあがっています。
今回の視察で地元の商店主の方にお話も伺いましたが、やはり今回の再開発事業に疑問を感じていらっしゃるようでした。
伺った話のポイントは大きく3つ。
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神戸市は震災からわずか2カ月後の95年3月に再開発計画を発表した。
スピードを重視したのだろうが、地元の意見を吸い上げるというプロセスはできていない。
震災直後の混乱の中で、行政が再開発の方向性を十分に検討できたとは思わない。
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もともと平屋が基本だった商店街にビル群をつくった。
地下、1階、2階と店舗を作って店舗の数を増やしてもテナントが埋まらない。
強制的に商店街のキャパシティーを広げても需要は広がらない。
ビルの管理費等が、入居者には大きな負担になっている。
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商店街で買い物をする客層は年齢も高め。
地下や2階も含めてビルの中を徘徊して買い物をするのは得意ではない。
ビル群がつくられたことで、わかりにくい商店街になってしまった。
お話を伺う前後で、現地を視察しましたが、上記の話は、うなずける内容でした。
必ず東京を襲うと言われている首都直下地震。
震災で受ける被害からその復興まで、いくつかのシミュレーションを準備しておく必要があると痛感しました。
復興後の需要予測、人口動態予測等も含め、その先を数十年単位で見通した上での再開発計画が必要です。
首都直下地震を見据えてやらなければいけないのは「防災」だけではありません。
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