前世田谷区議会議員、村田義則さんを偲んで。
世田谷区議会議員、桃野芳文です。
2020年7月28日。前世田谷区議会議員、村田義則さんが逝去されました。享年68歳。下の写真は区議会の資料から拝借しました。村田さんの最後の任期となった2015年5月〜2019年4月(平成27年〜平成31年・令和元年)の間の一枚。
村田さんの初当選は1987年(昭和62年)。2003年(平成15年)の選挙では一度落選されるも、桃野が世田谷区議会議員選挙で初当選した2011年(平成23年)には、6期目となる当選を果たした大先輩でした。桃野とは党派、主義主張も異なり、目指す区政の姿にも大きな違いがあったと思います。
でも、初当選したばかりで生意気盛りの桃野に、なぜか村田さんはよく声をかけて下さいました。「ちょっと聞きたいことがあるからコーヒー飲みに来い」と村田さんの属する共産党区議団の議員控え室に招き入れてもらったのも初当選から1年も経たない頃。
2015年、桃野2期目の選挙。桃野は政党に属さない無所属になっていたので、1期目の選挙にも増して厳しい戦いでした。50議席中48番目でなんとか2期目の当選。
当選後の最初の議会の前に本会議場で「全員協議会」が開かれます。その時点では、まだ会派も議場の席順も何も決まっていないので、各議員はアイウエオ順に着席するのですが、席次はムラタ、モモノの順。そこで桃野の肩を大きく二つ叩きながら「よく頑張ったな。本当によく頑張った」と言って下さった時の泣き笑いのような村田さんの顔を今でも思い出します。
その2015年からの任期の間で、村田さんは病魔に襲われます。当時、桃野も村田さんも「区民生活常任委員会」に属していたのですが、手術や治療の関係があったのでしょう。村田さんは時折議会日程を欠席されることもありました。そして、2019年の選挙への不出馬を宣言。
宣言通り、議員としては引退されたものの、その後も共産党区議団のアドバイザーのようなことをされてたように思います。2019年5月以降も区議会棟の廊下で時々、村田さんとすれ違うことがありました。そんな時は「おっ。〇〇の件、どう思う。君の意見が聞きたいと思ってたんだ」などと始まって廊下で長話をすることも。桃野から「体調はどうですか」と聞くと、本当に元気そうで「元気、元気、」とおっしゃってました。
そんな村田さんの訃報。桃野に報せてくれた共産党区議団の高城議員のお話では「1ヶ月ほど前には、おい、バーベーキュー行くぞって元気に誘ってくれてたんですけどね。急なことで。」と。「桃野さんのこと、気にしてたから、桃野さんにはお伝えしようと思って」ともおっしゃっていました。
コロナ禍ということもあるでしょう。ご葬儀はご親族の皆様のみで執り行われるそう。最後の別れのご挨拶もできず、本当に寂しい思いでいっぱいです。
村田さんとは、世田谷区の公文書管理についてや、世田谷区が外部へ事業委託をする際の事業者選定の公平性、透明性の担保などについて「俺は、こうあるべきだと思う。君はどう思う」と聞かれて様々意見交換をしていました。今となっては遺言の如くになってしまいましたけど。主義主張は違っても、世田谷区政を良くしようと真剣に誠実に取り組んでいる方とは思いが通じるもの。桃野は、村田さんの思いもしっかりと引き継いで、引き続き、世田谷区政発展のために尽くしていきます。
俺は、引退したら「晴釣雨読(せいちょう・うどく)」の生活を送るんだ。とおっしゃっていた村田さん。三途の川では何か釣れたのかな。
■こちらの写真も区議会の資料から拝借。1999年(平成11年)〜2003年(平成15年)頃の村田さん。
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