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世田谷区の桃太郎 桃野芳文Webサイトです
2011-01-17

阪神大震災から16年

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 今朝、テレビをつけると、ロウソクを灯して鎮魂の祈りを捧げる人達が映し出されました。
 今日は阪神大震災が起きた1月17日です。
 16年前の今日、6,400人の方が命を落としました。
 
 16年前の1月17日、午前5時46分。
 
 私は京都の大学に通う大学4年生でした。
 一度眠るとちょっとやそっとのことじゃ目を覚まさない私も、この時ばかりは大きな揺れで目を覚ましました。
 本棚の本が飛び出し、たてかけておいたスキー板などが大きな音をたてて倒れたことが記憶に残っています。
 揺れが収まって、少し落ち着くと、「何かわかるのではないか」とテレビをつけたのですが、既に画面には神戸の街の様子が俯瞰で映し出されていて、テレビの力はすごいなと妙な事に関心したことを思い出します。
 電車は止まっていたのですが、学生時代最後の試験期間でもあり、バイクに乗って大学へ。
 大学に着くと、当日の試験は延期になっており、登校していた何人かの友人と情報交換をして帰途につきました。
 次の日から徐々に仲間の情報も入ってきたのですが、中には家を無くした友人も。
 幸い、家も家族も無事であっても、「地元じゃ手に入らないから」とパンなどを京都で買って帰宅する友人もいました。
 今でも、色々なことを思い出します。
 しかし、一番記憶に残っているのは、震災数日後のある友人との会話。
 その友人いわく、父親が精神的にも肉体的にもパンクしそうだと。
 彼の父親は某市役所に勤めていました。
 毎日、被災者と接し、救援物資などの調整をする役目だったようです。
 物資が不足して困っている方々からの、不満や怒りを一身に受け、厳しいストレスに晒されていました。
 しかし、彼の父親も含め、彼の家族もまた被災者でした。
 自分や自分の家族の生活もままならない中、同じ立場の人たちから厳しい言葉を浴びせられながら業務を続けていた心のうちはいかなるものだったでしょうか。
 一瞬にして、築きあげてきたものを失った辛さ。
 家族を失うなど、極限状態と言える厳しい状況。
 美しい話、そうでない話がたくさん起きたことは想像に難くありません。
 そんな状況の中で目の前にいる人の心中を思いやることができるか。
 自信があるわけではありませんが、そうあらねばならないと心に刻んだ出来事でした。
 今日はそんなことを思い出した日です。 
 

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コメント3件

  • 強式 より:

    私も仕事がら東京から大阪に必要な物資をいかに
    確実に送るかと社内で会議をしたこと思いだします。早いもので、もう16年か!

  • たいき より:

    悲しいかな、ときに我々はこういった惨事を目の当たりにしてのみ、
    つまり他の方の悲劇を知ることで、
    今の我々の何気ない日常こそ、本当の幸せの
    結晶だと感じるものです。
    過去のものにしてしまわないように、
    その悲劇を忘れないように、
    今ある幸せに感謝できるように。
    と改めて気付かせて頂きました。
    ありがとうございます。

  • コジロウ より:

    私は震災当時イギリスで暮らしていましたが、現地でも相当大きなニュースとして報道されていたのを覚えています。 世界的にも大きな災害だったのだと思います。 亡くなられた方の冥福をお祈りします。

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