参加と恊働?保坂区長の自画自賛に感じる大きな違和感。
世田谷区議会議員、桃野芳文です。
現在の世田谷区長、保坂展人区長が自身の記者会見で、来春の区長選挙に立候補する意向を示しました。
現在4期目を務める70歳。仮に来春の区長選で当選し任期いっぱいまで務めれば、区のトップに20年間君臨する74歳ということになります。
その後も区長で居続けようとするのか、そうで無いのかまでは流石に現時点ではわかりませんが。。。
保坂区長、その記者会見での自身の発言をSNSで発信していました。

端的に言って、自身の区政を誇って「こんな素晴らしいことやってるんですよ。引き続きこんな感じでやっていきます」と言ってるわけですが、桃野は大きな違和感を覚えます。
先ず、保坂区長がいつも自身の成果として持ち出す「参加と協働」。
これは別に保坂区政で新たな取り組みとして打ち出されたものではありません。そしてそれが保坂区政において深められているとも思えません。
1975年(昭和50年)に、区長公選制の復活をはじめ、特別区を原則市並みとする改革が行われました。その際に区長に就任した大場啓二さんの区政から今に至るまで世田谷区では、区民参加を重視したまちづくりを目指してきた歴史があります。
例えば、こちらを見るとわかりやすいです。
【平成30年度せたがや自治政策研究所研究・活動報告書「せたがや自治政策Vol.11」】(世田谷区のサイト)
上記リンク先の資料、特に44ページから46ページは年表になっていてわかりやすいです。以下、そこから抜き出します。
• 1978年:世田谷区基本構想を策定。「まちづくりの主体は区民」「区民と区政の協力」と明示。
• 1979年:基本計画を策定し、「区民参加の推進」を実現方策として位置づけ。
• 1982年:世田谷区街づくり条例(神戸市と並ぶ先進事例)。住民参加による地区計画やまちづくり協議会の仕組みを導入。
・1983年:身近な街づくり推進員制度開始(区民が地域課題を行政に反映させてゆく活動を推進するしくみ)
・1987年:まちづくりセンター構想開始
・1991年:5総合支所がオープン
・1995年:身近なまちづくり推進協議会発足
・1999年:学識経験者および公募区民で構成する行政改革推進委員会設置
・2002年:協働事業(コラボレートプロジェクト/「協働促進事業」等に名前を変更しながら 2009 年度まで実施)
・2009年:まちづくり出張所をまちづくりセンターに(名称変更、機能も異なる)
・2012年:提案型協働事業(市民提案型、行政提案型)開始
保坂区長の初当選は2011年の4月ですから、それ以前からいやそれ以前の方が精力的に「参加と恊働」に対する取り組みが進められてきたのです。
今の課題に目を移すと「千歳烏山駅前再開発」がありますが、周辺住民の多くから「知らない間に事業が進んでいる」「もっと話し合いたい」との声が上がっています。またそれらの方々から区議会に陳情も提出されました。
以下関連ブログです。
そして、保坂区長は上記引用のように、今の世田谷区を「子育て世代が大変すみやく、子どもたちが育ちやすい」と断言しています。区長がそのような自画自賛をしている場合でしょうか。
区長自身も認めていますが、世田谷区は保育待機児童ワースト1。実に166人の待機児童を生み出しておきながら、このコメントは厚顔無恥というべきでしょう。
待機児童ワースト1位の世田谷区。世田谷区長「子育て世帯が区内に家買って引っ越してくれたら40万円あげます!」なんてやってる場合じゃないだろう、、、(桃野は予算の組み替え動議を提出するなどして大反対しましたが可決) https://t.co/rXpzTdTb60
— 桃野芳文(世田谷区議会議員) (@momono4423) August 28, 2026
しかも保坂区長は「子育て世帯の区外流出に歯止めをかけるため、区内で家を買った子育て世帯には40万円あげます」などという愚策(桃野は全力で反対し、予算の組み替え動議も提出)も行なっています。
脚下照顧。もちろん、次の区長選への出馬表明については、自身の判断で自由にされれば良いと思います。しかしその前に自身のやってきたことを冷静に見返すことが必要では無いでしょうか。












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